コラム~女性医学の紹介~

【パート4】2002年、WHI試験結果が招いたHRT使用の激変

更年期(45〜55歳頃)

2026.02.03

はじめに

「ホルモン補充療法の歴史」をたどるシリーズ、第4弾。

2002年7月、医学界、そして世界中の女性たちを震撼させるニュースが駆け巡りました。それは、それまで「女性の若さと健康を守る守護神」として絶大な信頼を集めていたホルモン補充療法(HRT)の常識を、根底から覆すものでした。

後に「WHIショック」と呼ばれることになるこの出来事は、単なる医学論争にとどまらず、社会現象としてのパニックを引き起こし、更年期医療の時計の針を止めてしまうほどの破壊力を持っていました。
今回は、この運命の夏に何が起きたのか、そしてなぜあれほどの騒ぎになったのかを、科学的な事実に基づいて紐解いていきます。

青天の霹靂:WHI試験の中止発表

事の発端は、アメリカ国立衛生研究所(NIH)が主導していた史上最大規模の臨床試験「WHI(Women’s Health Initiative)」でした。

この試験は、1万6000人以上の健康な閉経後女性を対象に、「ホルモン療法は本当に心臓病や骨折を防ぐのか?」という問いに最終的な答えを出すために、1990年代から巨額の予算を投じて行われていました。
医学界の誰もが、「HRTの予防効果が証明され、更なる普及にお墨付きが与えられるだろう」と楽観視していたのです。

しかし、2002年7月、その期待は裏切られました。試験の監視委員会が、エストロゲンとプロゲスチンを併用しているグループの試験を、予定より3年も早く「強制終了」させたのです。

理由は衝撃的でした。
「健康に良いはずのホルモン療法が、逆に乳がんのリスクを高め、あろうことか予防するはずだった心臓発作のリスクさえも増やしている」という中間結果が出たからです。

「リスクがベネフィットを上回る」というこの結論は、それまで半世紀近く積み上げられてきた「HRT神話」を一瞬にして崩壊させました。

数字のトリックとメディアの暴走

翌日の新聞やテレビは、このニュースをセンセーショナルに報じました。

「HRTで乳がんリスクが26%増!」「心臓発作が29%増!」「脳卒中が41%増!」といった見出しが踊り、世界中はパニックに陥りました。
「若さを保つために飲んでいた薬が、私を殺そうとしていたなんて!」

恐怖に駆られた女性たちは、医師に相談することもなく一斉に薬をトイレに流し、電話回線はパンク寸前となりました。

しかし、ここには大きな「数字のトリック」があったことを、私たちは知っておく必要があります。

メディアが強調した「26%」という数字は、あくまで「相対リスク」だったのです。これを、実際の患者数である「絶対リスク」に直してみましょう。WHIの論文データを冷静に読み解くと、その実態は次のようなものでした。

ホルモン療法を行わなかった場合、1年間に1万人のうち30人が乳がんになります。
一方、ホルモン療法を行った場合、1年間に1万人のうち38人が乳がんになります。

つまり、1万人あたり「8人増える」というのが真実でした。これを「26%も増えた(30人が38人になったから)」と表現するのは統計的には正しいのですが、患者さんが受ける印象は「4人に1人ががんになる」かのような巨大な恐怖に変わってしまいます。

当時、この「絶対リスク(1万人に8人の増加)」と「相対リスク(26%の増加)」の違いを冷静に解説できたメディアはほとんどありませんでした。
科学的な事実よりも、恐怖を煽る見出しの方が、はるかに早く世界を駆け巡ってしまったのです。

処方数の激減と「失われた10年」

このパニックの影響は甚大でした。
2004年にJAMA誌(米国医師会雑誌)に発表されたデータによると、WHIの発表直後からホルモン剤の処方数はフリーフォールのように激減しました。特に、試験で使用されていた合剤(プレムプロ)の処方は、わずか1年足らずで66%も落ち込んだのです。

これまで当たり前のようにホルモン剤を処方していた医師たちも、訴訟リスクを恐れて「とりあえず中止しましょう」と消極的な姿勢に転じました。

この流れを受けて、米国食品医薬品局(FDA)をはじめとする各国の規制当局も、ガイドラインを抜本的に変更しました。それまでの「病気予防のために積極的に使う」というスタンスは完全に否定され、代わりに登場したのが、その後20年以上にわたって医師と患者を縛り続けることになる新しい鉄則です。

「ホルモン療法は、重い更年期症状がある場合に限り、最低有効量を、最短期間だけ使用すること(Lowest dose, Shortest duration)」
このスローガンは、HRTを「健康維持のパートナー」から「仕方なく使う緊急避難的な薬」へと格下げしました。製薬会社は新薬の開発をストップし、医学部でも更年期医療の教育は下火になりました。

その結果、本来であればホルモン療法で救われたはずの、重い症状に苦しむ多くの女性たちが、治療の選択肢を奪われ、「更年期は我慢してやり過ごすもの」という古い価値観に引き戻されてしまったのです。いわば「更年期医療の冬の時代」の到来でした。

見落とされた重要な事実

しかし、嵐が過ぎ去った後、冷静さを取り戻した研究者たちがWHIのデータを詳しく再解析すると、いくつかの「見落とされていた事実」が浮かび上がってきました。

まず、試験に参加した女性たちの年齢です。WHIの参加者の平均年齢は「63歳」でした。多くは閉経から10年以上が経過しており、すでに血管の老化が始まっていた人たちだったのです。

「60代、70代で初めてホルモン療法を始めた人のデータ」を、ホットフラッシュに悩む「50代前半の女性」にそのまま当てはめて「危険だ」と断定してよかったのでしょうか?

また、乳がんのリスクが上がったのは「エストロゲンとプロゲスチンを併用したグループ」だけであり、子宮のない女性が対象の「エストロゲン単独グループ」では、実は乳がんリスクは増えていなかった(むしろ減る傾向さえあった)という事実も、パニックの中ではほとんど注目されませんでした。

次回予告:
WHIショックから20年以上の時を経て、科学はようやく恐怖を乗り越えつつあります。
「50代で始めれば、むしろ心臓に良い?」「乳がんリスクは実は怖くない?」
最新の研究データが明らかにした大逆転劇と、2026年の現在、私たちがどのようにHRTと付き合うべきか。
次回、最終回ですべての答え合わせをします。

参考文献
Writing Group for the Women’s Health Initiative Investigators. Risks and benefits of estrogen plus progestin in healthy postmenopausal women: principal results from the Women’s Health Initiative randomized controlled trial. JAMA. 2002.
Hersh AL, Stefanick ML, Stafford RS. National use of postmenopausal hormone therapy: annual trends and response to recent evidence. JAMA. 2004.
Manson JE, et al. Menopausal Hormone Therapy and Long-term All-Cause and Cause-Specific Mortality: The Women’s Health Initiative Randomized Trials. JAMA. 2017.
Langer RD. The evidence base for HRT: what can we believe? Climacteric. 2017.
US Food and Drug Administration (FDA). Estrogen and Estrogen with Progestin Drug Products for Human Use; Proposed Rule (Black Box Warning). 2003.

この記事の監修

中村 久基

白山レディースクリニック院長

信州大学医学部卒業。
カナダクイーンズ大学Cancer Research Lab、
東京大学産婦人科医局、NTT東日本関東病院、
長野県立こども病院総合周産期母子医療センターなどを経て現職。
日本産婦人科学会専門医・母体保護法指定医、他。
女性の一生を通じた健康サポートに取り組んでいる。

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