
【パート3】ホルモン補充療法の80年史:1970~90年代、リスクの発覚と「万能薬」への復活
2026.01.27
はじめに
「ホルモン補充療法の歴史」をたどるシリーズ、第3弾。
1960年代、ウィルソン医師の著書によって「魔法の薬」として広まったホルモン補充療法(HRT)ですが、その熱狂は長くは続きませんでした。
1970年代半ばになると、最初の深刻なつまずきを経験することになります。
最初の警告:1975年の衝撃
1975年、医学界に激震が走りました。
アメリカの権威ある医学雑誌『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)』に、衝撃的な論文が掲載されたのです。
それは、ホルモン剤(エストロゲン)を使用している女性は、使用していない女性に比べて「子宮体がん(子宮内膜がん)」になるリスクが数倍から十数倍も高い、というものでした。今にして思えば、これは医学的に説明がつくことでした。
エストロゲンというホルモンには、子宮の内側の膜(内膜)を厚く育て、細胞を増殖させる働きがあります。本来の月経周期であれば、別のホルモンである「プロゲステロン(黄体ホルモン)」が分泌されることで内膜が剥がれ落ち、生理として排出されてリセットされます。しかし、当時のホルモン療法は、若返りのためにエストロゲンだけを補充し続けるという方法が主流でした。
これは例えるなら、アクセルを踏みっぱなしにしてブレーキをかけないようなものです。
増えすぎた内膜の細胞が、やがてがん化してしまうのは、ある意味で必然でした。
「ホルモン剤は発がん性物質だ」というニュースは瞬く間に広がり、ブームは一気に冷え込みました。多くの女性が使用を中止し、HRTは一度、表舞台から姿を消しかけたのです。
起死回生の一手:2つのホルモンを組み合わせる
しかし、医学者や製薬会社は諦めませんでした。
「子宮内膜が増えすぎるのが問題なら、それを抑えるホルモンも一緒に飲めばいいのではないか?」と考えたのです。
そこで導入されたのが、エストロゲンに加えて「プロゲスチン(合成黄体ホルモン)」も一緒に投与する方法でした。
プロゲスチンは、増えすぎた子宮内膜の細胞を抑え込み、定期的に排出させる「ブレーキ役」を果たします。
この新しい「併用療法」の効果はてきめんでした。プロゲスチンを併用することで、子宮体がんのリスクはホルモン剤を飲んでいない人と変わらないレベルまで下がることが確認されたのです。
「これで欠点は解消された。HRTは安全になった」医学界は安堵し、再びHRTの普及に力を入れ始めました。
そしてここから、HRTは単なる「更年期症状の薬」を超えた、巨大な存在へと進化していきます。
「フェミニン」から「ヘルシー」へ:最強の予防薬としての再誕
1980年代から90年代にかけて、HRTの目的は大きく変わっていきました。
それまでは「若さや美貌を保つ(フェミニン・フォーエバー)」という美容的な側面が強調されていましたが、新しいキャッチコピーは「病気を防いで健康に生きる(ヘルシー・フォーエバー)」へとシフトしたのです。
その根拠となったのが、「骨」と「心臓」への効果でした。
まず、エストロゲンには骨を強く保つ働きがあることが科学的に証明され、1988年にはFDA(米国食品医薬品局)がHRTを「骨粗しょう症の予防薬」として正式に承認しました。さらに決定的だったのが「心臓病」への期待です。1985年や1991年に発表された「ナース・ヘルス・スタディ(看護師健康調査)」という大規模な追跡調査の結果が、世界を驚かせました。
何万人もの看護師さんを長期間調べたところ、「ホルモン剤を飲んでいる女性は、飲んでいない女性に比べて、心臓病や血管の病気になる確率が40%から50%も低い」というデータが出てきたのです。
閉経後の女性にとって、心臓病は死因の上位を占める怖い病気です。もしそれを薬で半分に減らせるなら、これは画期的な「予防医療」になります。アメリカの主要な医学会はこぞって方針を転換しました。
「更年期の症状がある人だけでなく、将来の病気を防ぐために、閉経後のすべての女性がHRTを検討すべきだ」というガイドラインが出されるようになったのです。医師たちの間では、「閉経後の女性にホルモン剤を勧めないのは、むしろ不親切であり、医療過誤に近い」という雰囲気さえ生まれました。
1992年、HRT黄金時代の頂点
こうした期待を背に、HRTは再び爆発的に普及しました。1992年には、かつての子宮がん騒動を乗り越えたプレマリンが、アメリカで「最も多く処方された処方箋薬」の第1位に輝きました。
薬局にはホルモン剤を求める女性たちが列をなし、雑誌やテレビでは「賢い女性はホルモンで人生をマネジメントする」といった特集が組まれました。「更年期のホットフラッシュも消えるし、お肌のハリも戻る。骨も丈夫になって、心臓病まで防げる。しかも子宮へのリスクは克服済み」当時の医師も患者も、HRTこそが女性を老いと病気から救う「現代の万能薬」であると信じて疑いませんでした。
しかし、ここには大きな落とし穴がありました。
当時「心臓病が減った」として信じられていたデータの多くは、「観察研究」と呼ばれるタイプのものでした。
これは「ホルモン剤を飲んでいる人」と「飲んでいない人」を単に比べただけの調査です。
ここに、「健康ユーザー・バイアス」という罠が隠れていました。
当時、進んでホルモン療法を受けるような女性は、もともと健康意識が高く、教育レベルも高く、食事や運動に気を配り、定期的に医師の診察を受けている裕福な層が多かったのです。つまり、「ホルモン剤のおかげで心臓病が少なかった」のではなく、「ホルモン剤を飲むような女性は、もともと心臓病になりにくい生活をしていた」だけだった可能性があったのです。
それでも、90年代の熱狂の中で、そんな慎重な声はほとんどかき消されていました。あまりにも話がうますぎる、とは思われながらも、目の前の素晴らしいデータに、世界中が酔いしれていたのです。
そして、その「絶対的な自信」を最終確認するために、医学界は巨額の資金を投じて、史上最大規模の臨床試験を行うことを決定しました。それが、後にすべてをひっくり返すことになる「WHI試験」です。
次回予告:
完璧に見えた万能薬の神話。しかし2002年、その自信は粉々に打ち砕かれます。
世界中をパニックに陥れた「WHIショック」とは何だったのか。次回、その真相に迫ります。
参考文献
Ziel HK, Finkle WD. Increased risk of endometrial carcinoma among users of conjugated estrogens. New England Journal of Medicine. 1975.
Stampfer MJ, et al. Postmenopausal estrogen therapy and cardiovascular disease. Ten-year follow-up from the nurses’ health study. New England Journal of Medicine. 1991.
Food and Drug Administration (FDA). Estrogen Use and Osteoporosis. 1988.
Wysowski DK, et al. Prescribed use of hormones in the United States, 1980 through 1992.
Taubes G. Do We Really Know What Makes Us Healthy? New York Times Magazine. 2007.
月~金19時、土曜13時半まで診察
- この記事の監修
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中村 久基
白山レディースクリニック院長
信州大学医学部卒業。
カナダクイーンズ大学Cancer Research Lab、
東京大学産婦人科医局、NTT東日本関東病院、
長野県立こども病院総合周産期母子医療センターなどを経て現職。
日本産婦人科学会専門医・母体保護法指定医、他。
女性の一生を通じた健康サポートに取り組んでいる。
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